RAF



RAF / LA PROVA : CGD (3984 25662-2) 1998

WAIT!!骨太ロッカーの充実の一品

 ラフことラッファエーレ・リエフォーリは、1959年9月29日にマルゲリータ・ディ・サヴォイアに生まれました。 フィレンツェで青年時代を過ごしましたが時代はまさにニュー・ウェイヴ真っ盛り、ラフもその洗礼を受け、バーリのコンセルヴァトワールを卒業後音楽活動を始めます。 やがてカフェ・カラカスというバンドに在籍し、クラッシュの前座としてデビューを果たしました。 その後ロンドンに移住し、そこで組んだライフル・ボーイズでプロデューサーのジャンカルロ・ビガッツィと出会います。 そのビガッツィの手ほどきで英語曲「セルフ・コントロール」で83年にソロ・デビューを果たしますが、この曲をカヴァーしたローラ・ブラニガンのヴァージョンが84年に全米で4位にまで上がる大ヒットを記録、またたく間に注目される存在となりました。 なんと日本でも「セルフ・コントロール」のヒットのおかげで、オリジナル・アーティストとしてシングルやアルバムが発売されましたが、レコード会社側はハワード・ジョーンズやニック・カーショウに続くスターとして売り出そうとしていたようです。WAIT!!

 ラフが次に頭角をあらわしたのは、87年のサンレモ音楽祭でジャンニ・モランディエンリコ・ルッジェーリウンベルト・トッツィの3人で歌い優勝した「SI PUO' DARE DI PIU'」を書いたことでしょう。 同年トッツィとデュエットした「GENTE DI MARE」でユーロフェスティヴァルでもグランプリを獲得しています。 この87年の出来事をきっかけに、英語で歌うことをきっぱりとやめ、以降イタリア語に専念しています。 88年には単独でサンレモ音楽祭に「INEVITABILE FOLLIA」で出場し、89年も「COSA RESTERA DEGLI ANNI 80」で出場していますが、著しい結果は出ていません。 91年になって「OGGI UN DIO NON HO」をオフラ・ハザと歌い、ようやく10位に入賞しています。 さて、本作はベスト盤を含む9枚目のアルバムですが、非常にハードな音楽を聴かせています。 正直言って買った当初はあまりにもハードになり過ぎてピンと来なかったのですが、97年に父親になったことを聞き、彼の中で何かが弾けたのではないかという印象を持って聴いてみると、非常に力強いメッセージとして伝わって来ました。 以前のポップスの真髄的な曲調も良かったのですが、実は女性にはこちらの方が男らしくて絶対のおすすめです。


ITALIAN ARTIST CHRONICLE